こういのおはなし


どれだけ好きだと言ってくれても、私があなたのものになれるわけじゃない。


好きだけど付き合わないとかそう言うのは分からなくもない、でも私はわがままだからこう言いたい。責任を取るつもりがないなら好きだなんて言わないで、と。

好きになられたらどうするんだお前は。好きと言われたことによって好きになってしまっても実は両想いではないなんて酷すぎる。というかむしろ、その好きは対象全体に向けられたものではなかったかもしれないけどそれを勘違いしたりしてしまったりするかもしれないだろう。何として、相手のどこが好きなのか、わざわざ言ったらムードもへったくれもないけれど、でも言わなきゃ人が傷つくこともある、かもしれない。勘違いされたくないなら色々できることがあるなあ、くらいの認識で良いのですけれど。

特にセックスをしている最中の甘い言葉にはすぐ騙される。全ての言葉の始まりに、「君とのセックスが」と付けないと心の弱い私はすぐに間違えてしまう。多分これは私が全部悪くて、セックスをなんと位置づけているかの違いなんだけど。心を埋めるものである場合とても危険、ていうかこっちは妊娠するかもしれない行為をしているわけだから、もしかしたら一緒に子育てをしていくかもしれない相手を一瞬でも好きかもと思ってしまうことは仕方ないことじゃないですか。そりゃそうもなるわ。抱いたから、とかじゃないこともあるよ勿論、好きにならない人だっているし。でも好きとか言われちゃったらそれに拍車がかかるでしょ。仕方ない。閉廷!


言葉に責任をもってくれお願いだから。好きだなんていちばんに、そう。その言葉にはちゃんと責任がないとダメ、だと思う。ちなみに私も好き好き言いますが、本当に好きな人にじゃないと言ってないし、最悪どうなっても私の責任だと思ってますしそれでいいと思ってる。抽象的褒めとしての好きをしばらく封印してみませんか。

好きという言葉には色々な使われ方があるけれど、私がいちばんよく使うのは褒めとしての好き、と好意の伝達のための好き。今勝手に定義してる。褒めと好意はちょっと違うじゃん。具体的に例が出せればいいんだけど感覚だからなんとも言えない。恋愛的なのと友情的なのの違いと似てるかな。うまく言えない。顔が好き!は褒めとしての好きだし、告白とかの好きは好意の好きでしょ。みたいな。対人の使用においてね。きっともっといろんな意味を包括して好きって言葉があるんだと思うけど流石にわからんわ。とりあえずそのふたつは確実に使い分けないと人の心が死ぬ。時によって私も。死ぬ。死にたくないでござる。にんにん。


あ、ルームに充電器忘れた