言葉刈りと目に見える幸せの話

3,4年前の人生設計にはなかった今日に乾杯。
きっと今があるのは16歳の私が恋に落ちたからでしょう。あの時に彼に出会わなければこんなに毎日が楽しくなかったし、大学入学も果たさずに皆さんを見守るお星様にでもなっていたのだから。


運命とかそういうのは使われる毎に定義がはっきりしていなくて嫌いだ。
もし人生のすべてが神様に決められている運命なのだとしたらここであなたがこれを読んでいることも運命だよ?もっとよろこべよ、なあ?もしラブソングなんかの「運命の人」が愛し愛される運命の人なのだとしたらそうはっきりかいてくれないかな機嫌悪い私が揚げ足とってガヤガヤ言いたくなるでしょうが。どういう運命の相手なのよ。私だってあなたの運命の相手だよきっと。友達になるだかただすれ違うだかしらねーですけども。そういうことじゃん。必然とかさ、偶然とかもさ、よく意味とか知らんけど。決まってるんだとしたら全部これ運命だから!私がこれ書くのも運命でしょ?……ってこれずっと思ってていつか言おうって思っててやっと言えたわ。ただの八つ当たりです。

永遠とか絶対とかも嫌い。私は気まぐれなので。ずっととか約束できねーだろ。守れない約束は好きじゃない。約束するよ?じゃあ破った時なんか代償捧げてくれんの?みたいな。ありがちなラブソングが嫌いなわけじゃなくてよ。私の言葉選びの基準というか。永遠なんてなくない?愛が尽きるまでが永遠なわけ?最期を知るまでの永遠?そうですね。あなたがそれでいいなら。その永遠が二人の間で共通認識を持たれていなければ永遠なんてあってないようなものよ。綺麗な言葉はもちろん好きだけど、実現不可能な誓はもはや虚言じゃないかしら。それでも信じたいって思う気持ちはわからないでもないけれど理性的な私が出てきて凄い剣幕でディスりだすからなあ。もはや面白い光景。


私は恋愛くらいしかしてきてないと思ってるけどあれが本当にそうだったかと言われればそうだったと断言はできない。これという形がないから。だけど人と人との関係性な以上、相手がいる以上、愛はそこに存在していたと信じていたい。だってあなたがそう言えば私はそうであると言えるのだから。

ふたりでいるのに孤独を感じる、なんてそれっぽいことを並べ立てていた時期もあったけれど、隣にいる愛しい人をガン無視するのは失礼すぎる。
私は私に忠実であったのではなくて、私のなりたい私に忠実でありすぎた、しありすぎるのではないかしら。他人から見た私に固執しすぎている。
結局人間は他者評価がすべてだなとは思うけれど、それは私が自分に自信が無いだけな可能性だってある。ただの私の価値観だ。私だってわたしのためだけに私でありたい。そう出来ている人たちが羨ましい。こーんなちっぽけなプライドなんてはやく捨てて、私になりたい。
それができれば苦労しないけれど。

こうして言葉にすることで自分の考えが少しずつ理解できるようになってきた。モヤモヤを言語化して私にわかるようにするためだけのスペース。誰かに読まれることを何故か意識した自分だけの文章。
きっとあなたのおかげで今日も私は生きているので。あなたとの運命にも、乾杯。