土曜日の朝日

好きな人の後ろ姿にそっくりな人が前に座っている。真っ直ぐ整った襟足、ちょっと重めの黒髪マッシュ。あの人は今どうしているかしら、なんてため息をつく。
そういえばあの人に最後にあったのはいつだったか。冬だ。冬であることに間違いはない。ただそれが正確にいつだったかというのは、あまりに会えていないという現実に向き合いたくないからか、とても思い出せそうにない。顔が見たいなあ、そう思いながら窓側に身体を寄せる。

最後に話した言葉は?触れた場所は?あなたの見た私は?

見た目ばかり気にしているのは
あの人の記憶に残る私がいつでも可愛くあるために、
それ以外の理由はない。ただ好きな人の記憶に残る私が少しでも可愛く映っているようにと思うのみなので。



女の子はお金がかかると言うでしょう。
私は女の子としての意見しか言えないけど、男の人より女の子の方が見た目を求められていると思う。
というより、女という性別に外見を飾るべきという考えが埋め込まれているのだと思う。むかしは飾りだったっていうくらいだし。そりゃ可愛い方がいつだって世渡りにはいいと思うしね。男の人より顔面で融通の利く世界だと思う。だからこそ尚更、美しくあるべき、という強迫観念にかられるのではないだろうか。特になんの学術的裏付けがある訳ではないがそんな気がする。

女を捨てている、と言われる時、見た目に無頓着であることや大雑把な性格などを咎められている。
女っていうのは今でもきっとある程度のお人形さん、を含んでいるのだなと思ったりする。
女を捨てるってさ、それは女という性別を選ばないということ以外にないのに。外見に気を使わないとかそういったことを言われるのだなあ。

正直疲れていて日本語が不自由。申し訳ないです。察してください。



とにかく今日は、好きな男に似ている人を見かけたのだ。それだけで少し嬉しかった。
単純な女なので。すみませんね。